結局、ミニマリスト(最小限主義者)とはなんぞや?―貧困とは違う新しい生き方―

はてなブログを始めて、「ミニマリスト」なる単語をよく見かけるようになりました。しかも、最近では「ブログ村」のような大手ブログランキングサイトでもミニマリスト(持たない暮らし)というジャンルが出来ています。

 

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一定の市民権を得ているこの単語について私は知らなかったので、一体何ぞやと調べ始めてみました。*1

 

まずは、その言葉上の定義から……と思ったのですが、誰か有名な人が提案した言葉だったり、はっきり意味が定められて使われている単語ではないのか、個々人レベル以上の定義は見つかりません。

 

本当は誰かがちゃんと定義したのかもしれませんが、みんな出典を書かないので、どこが大元の発言なのかを辿れないんですよね。余談ですが、こういう時に困るので、オリジナルの発言以外は出典を明記するという習慣は大事だと思います。

 

ミニマリストの共通事項

話を戻しますと、そんな人によって使い方の異なる「ミニマリスト」という単語にも、私が見た限り全ての人が共通して述べていることがありました。

 

それは「モノを出来る限り持たない」こと。

 

しかも、それは“持てない”のではなく、主義主張として“持たない”こと。貧困とは異なるということです。

 

ただ、これではただの節約と何が違うのか分かりません。そこで、ミニマリストの方が参考にされていることが多い、TEDの「ものは少なく、幸せは多めに」を視聴してみました。

 

 

彼の主張によると、アメリカの一般家庭では50年前の3倍ほどのモノが増えているそうです。そして、彼はモノを多く持つことは必ずしも幸せに繋がるとは限らず、むしろ更なる「多さ」を求めてしまう事すらあると述べています。

 

ここまでは理解しました。

 

ただ、その先の部分で、彼は「少なさ」を提案しています。

 

「皆さん、どこかで『少なさ』に幸せを覚えたことがあるはずです」と。

 

個人的にはここが分かりませんでした。幸せになれるかどうかは、モノが多かろうが少なかろうが関係ないのでは?と思いました。

 

というか、少なくとも、私はモノが少ないことそのものに幸せを感じたことはありません。そこには大抵他の体験が付随しています(e.g., 足りないものを他人からおすそ分けしてもらったetc…)。

 

もしも彼の言うように、「少なさ⇒幸せ」というパスがあるのだとすれば、その間には何かの要素が隠れているはずです。例えば、「モノを少なくする⇒自分にとって本当に大事なものが理解できる⇒幸せ」といったように、少なくとも直通のパスではないはず。

 

結局、この動画では「少なく生きるための方法」が主に語られるので、“少ない”ことがなぜ幸せに繋がるのかは語られませんでした。

 

少ないことが、なぜ幸せに繋がるの?

そこで今度は、『小さな暮らしのすすめ』という本を読んでみます。「広げすぎた翼はたたんで、清々しい、心豊かな暮らしへ。 」というキャッチコピーの本ですが、ここに何かヒントが隠されているかもしれません。

 

小さな暮らしのすすめ

小さな暮らしのすすめ

 

 

この本の著者の多くも、「モノを持たなくても人間は生きていける」というエピソードを語っていて、「モノを持たないこと⇒幸せ」に繋がるヒントはここでも得られないのかと落胆しかけていました。

 

ですが、1人だけ個人的にはすごくしっくりくる説明をされている方がいらっしゃいました。國學院大学の倉石名誉教授の言葉を引用します。

 

“ぜいたくを考えるために、あるいは足るを知るために再構築すべきは、ハレとケではない。なぜなら、ハレとケはことばとしては存在していますが、生活実感としては消滅しているからです。

 

おそらく再構築すべきものは、生活のありかた、生活リズムなのだと思います。あるいは暮らし方の再構築なのだと思います。そのことによって自分たちの豊かさ、ぜいたくさを認識しなおしていく。

 

暮らし方にメリハリをつけることによって、贅沢を認識するということならできるかもしれません。

 

(中略)

 

だいいち正月元旦から店があいているのだから、もっともハレ的であった正月も日常そのものです。そして正月のおせち料理をありがたく感じないのは、ふだんの食生活のほうが、ごちそう感があるからです。”

 

個人的には、この説明がものすごく腑に落ちたのですが、皆様はいかがでしょうか。たしかに私が田舎に住んでいたころ、実家はものすごく貧乏でしたが、だからこそ正月や誕生日のちょっとした祝い事が深く心に残っていたような気がします。

 

人間は面白いもので、かつて幸せだったものが身の回りにあふれると、それを幸せだと感じられなくなってしまう生き物です。ですから、それを幸せ、あるいはぜいたくだと再認識するには、一度失ってしまわなければ分からないのです。

 

こうした点を踏まえると「ミニマリストとは、ふだん身の回りにあるモノをコンパクトにおさめ、日常を作りだすことで、非日常的な幸せをより深く楽しもうとする人たち」とでも言えばいいのでしょうか。

 

ただ、ここまでグダグダと色々述べてきましたが、私自身はミニマリストではありません。もし、ここにミニマリストを自称する方がいらっしゃったら、あなたがミニマリストとして掲げている主義主張とは一体何なのかを教えていただけると幸いです。

 

*1:※注意事項ですが、今回の記事はミニマリストの共通定義を決めようという趣旨ではありません。私がミニマリストとは何か理解し、納得できる定義はないかを探す記事です。ここには大きな乖離があるので、ご留意ください。