悪文の代表例のような文章から抜け出したい私が、自分の文章の汚さについて見かえしてみる

最近わたしは自分の文章の書き方について悩んでいます。ただし、ここで言う「文章の書き方」とはブログらしい文章の話とは全く異なる話です。あくまで自分の意見や主張を誰かに伝えるための丁寧な文章の書き方の話です。

 

以下の記事でご紹介したように、私もブログらしい文章の書き方については勉強したことはあります。そこでは「ブログでは日本語の正しさなんて二の次だよ」とまで主張すらしました。

 

 

しかしながら一方で、最近はブログ的な文章とは無関係に、“すらすらと読者が読みやすく、パッと自分の言いたいことを理解してくれる文章を書きたい”とも考えるようになりました。

 

私が自分の文章について悩んでいる点は以下の3点です。

 

1. 読点「、」が多い

2. 漢字が多い

3. 接続詞で文章を始めがち

 

これだけでは分かりにくいので、以上の悩みについてもう少し詳しく見ていきたいと思います。

 

Writing? Yeah.
Writing? Yeah. | Flickr - Photo Sharing!

 

読点を減らしたい

読点の多さに関しては大学院時代から先輩たちに言われてきたことなのですが、これがなかなか治りません。以下の記事でも、読点の多い文章の読みづらさについて指摘されていますが、自分では気づいていても意外と直しにくいものです。

 

 

それはそもそも、読点を過剰に必要とする文章自体が悪文だからでしょう。悪文から読点だけを取り出せば、それはもちろん読みづらい文章になります。ですので現在では、むしろ読点など使わなくとも読める日本語を書けることを最終的な目標としています。

 

読点は文章の読みづらさを解消するためではなく、息継ぎや思考を休ませるため、あるいは主張を印象付けるために使いたいのです。この点については、意識することによって以前よりだいぶマシな文章を書けるようになってきたと思います。

 

とはいえ、まだまだ不完全なのも事実。今後も少しずつ文章の書き方を改善して読点「、」を過不足なく使っていければと考えています。

 

漢字3割、ひらがな7割を目指して

「新聞の文章は、漢字3割+ひらがな(&カタカナ)7割で構成されている」というのはよく耳にする話です。これは、この比率の文章が一番読みやすいとされているからです。

 

ですが、私は意識しなければすぐに漢字ばかりの文章になってしまいます。

 

最近では“事”を“こと”と直したり、“出来る”は“できる”に直したり色々と工夫をしているのですが、ちょっとでも気を抜いてしまうと漢字の割合が大幅に増えてしまいます。

 

それはもちろん、私が不用意に漢字変換してしまうというのもあるのですが、それ以上に、ひらがなに置き換えるのが難しいような名詞を使ってしまう傾向があるからだと考えています。

 

そのため、意識的に漢字を減らそうとしてもなかなか漢字を減らせないのです。これは漢字がどうのこうの以前に、誰にでも読める表現を使って文章を書けていないことが問題だと言えるでしょう。

 

漢字 : ひらがな(&カタカナ)の比率については今後も意識しながら、それ以上に表現を読みやすく言い換えできないかと問い続け、あまり意識せずに3 : 7を再現できるようになれればなと考えています。

 

余談ですが、最近では年々“漢字が文章に占める割合”が低下しており、以前は「日本語からは漢字がなくなる」と主張していた研究者までおりました(以下のリンク先参照)。

 

ふしぎ日本語−バックナンバー

 

それが事実かどうかは知りませんが、漢字が多すぎる文は避けられるだけでなく、それ以上に文章として理解してもらえなくなる可能性すらあるのかもしれません。今のうちに出来るだけ文章表現と漢字の問題についてはしっかり取り組みたいと考えています。

 

接続詞を使わない文章を

私の尊敬する教授が以前こんな話をしていました。

 

「大学生は“したがって”や“しかしながら”、“つまり”といった接続詞を多用しやすい。接続詞が不要な場所まで接続詞を入れる傾向がある」と。

 

私も接続詞をよく使います。特に“まあ”、“ただ”、“ちなみに”はかなり頻繁に使います(“まあ”が接続詞かは疑問ですが、ここでは接続詞の範囲を広くとります)。

 

こういった接続詞の多用の背景には、あいまいに結論(あるいは論拠)をごまかしがちな傾向と、文章を二転三転させがちな傾向、余談が多すぎる傾向がうかがえます。

 

この点は意識しているのですが中々治らず、むしろ文章単位ではなく、私の記事構成自体に問題があるのではないかと最近考えるようになりました。特に、“まあ”が口癖(文癖?)のようになっている点は明らかに問題です。

 

以下の記事では、“まあ”ではなく“また”の用法について触れられていますが、ほとんど類似した傾向を取り扱っています。

 

 

私も上の記事を参考にしつつ、この便利な、しかしながらぼやっとした“まあ”を使わずに記事を構成できるようになりたいと考えています。

 

まとめ

ここまで私の文章の問題点について色々と述べてきましたが、皆様はご自身の表現について何かお悩みなどはあるでしょうか。自分の問題点を棚の高いところに上げておきますが、こういった問題はできるだけ早めに取り組むのが吉です。

 

なぜなら、こうした問題は意識し続ければ必ず解決する上、文章の綺麗さ以上のメリットをもたらしてくれるからです。

 

以前まで、私の書く文章は一文一文がめちゃくちゃ長かったのですが、最近はかなりマシになったと思います。文の長さは、意識するだけでも劇的に私の文章を読みやすく変えてくれました。

 

それによって変わったことは、ただ読者が文章を読みやすくなっただけではありません。文章の構成によって自分の思考や論理の穴に気づき、思考を整理しやすくなるというメリットもありました。

 

皆さんも、私と一緒に今一度ご自身の文章を見直してみてはいかがでしょうか。