実家が天災の被害にあい、地元自治体から全壊認定をされました。全壊認定なので当然ですが、建てなおしをすることになります。
「天災の被害にあう」とは決して個人の問題ではありませんし、被害にあって終わりというわけでもありません。今回は改めて、天災が連れてくる色々な問題に直面することになりました。
誰の役に立つかは分かりませんが、私自身の頭の整理のためにも、少しだけ今回のあらましと被災後の状況などについてお話したいと思います。
被災によるお金の被害
今回の被災で最も大きかった影響と言えば、お金の問題でしょう。
家一件を建てなおすわけですから、それなりの額が必要になります。
こういったことを言うと、まず一番に言われるのは「(火災)保険には入ってなかったの?」という言葉です。
もちろん我が家も火災保険には入っていました。
ただ、火災保険で一部のお金も支払われますが、私の実家のような貧乏人たちにとって火災保険なんてものは「お守り」程度にかけるものです。基本的には安いプランで契約をしており、満額をいただけるものではありません。
それどころか、契約した両親ですらどんなプランに入っていたのか分からない始末。改めて、倒壊した家屋のなかで火災保険の契約書を探したり、保険屋さんに電話して、そのプランを確認するハメになりました。保険内容の把握って大事です。
また、天災による被害だったため「市や県から補助金は出ないの?」という質問もされました。
どうやら、被害の規模がかなり大きければ国や県などから補助金が出ることもあるようですが、家数軒単位だとそういった補助金を受けることはできないようです。ひょっとすると、補助金を受けられる自治体もあるのかもしれませんが、我が地元では不可能でした。
ちなみに、今回の件は我が家が特別ボロだったために倒壊したわけではなく、他人の家のモノが我が家を破壊していったという経緯がありました。
「原因の家に被害額を請求できないのか?」という声もありましたが、保険屋さんの話では、「天災の場合は請求ができず、保険による補償のみ」だと言われました。あくまで“お気持ち”に頼るしかないそうです。
なるほど、火災保険はお守り程度にしか考えていませんでしたが、いざこういった事態になってみると、むしろ火災保険しか頼ることができないのだと改めてその重要性を感じた一件です。
今回のことで、我が家は7ケタ台の借金を抱えることになりました。
仕方のないことですが、私も今は個人事業主としての仕事を軌道に乗せられるように頑張りつつ、自身の奨学金の返済などと合わせて、実家の借金の返済も同時に援助していければと思います。新築の家では火災保険の見直しもしなければいけませんね。
被災によるトラウマと悪意のない言葉
災害が連れてくる問題は金銭面のものだけではありません。
どちらかというと、もっと大きな問題は被災した家族の精神状態のことです。
私自身は名古屋にいたため、直接被災したわけではありませんが、私の家族は直接家の倒壊に関わっており、当時は命の危険を感じたと言います。
そのためか、被災してしばらくの間は心の休まるヒマもなく、緊張して睡眠を取ることも出来なかったそうです。一時は避難所で暮らしていましたが、精神的にもすぐれなかったため、今は避難所を出て親戚の家を頼っています。
そんな被災のトラウマを抱えている家族の頭をさらに悩ませているのが人間関係。
被災後には、地域の人じゅうから「大丈夫だった?」「どうしたの?」と声をかけられたそう。「心配の言葉は嬉しいけれど、一人一人の説明の対応に追われて、被災後初日は何もできなかった」と言います。善意からの言葉なので、無下にはできないのが悩みどころ。
そして、もっと頭を悩ませたのが、悪意のない冗談を言ったり、興味半分に自宅を撮影していく人々だったと言います。
最近はスマホを持っている方も多いため、少し珍しいことがあると多くの人は写真撮影を行います。我が家もその例に漏れず、多くの人がスマホやケータイで写真撮影をしていきました。
家族もさすがに憤りを隠せなかったようですが、言ったところでどうなるわけでもありませんし、むしろ偏屈な人間だと言われてしまうぐらいでしょう。ただただ耐えるしかなく辛かったとのこと。
加えて、そうした現状を見て「ウチじゃなくて良かった」とか「(本人は冗談のつもりで)いつも悪いことばかりしてるから、バチがあたったんじゃないか」と言っていく方たちもいらっしゃいます。
もちろん本人たちに悪意があるわけではないでしょうし「ウチじゃなくて良かった」とはまさに本心の言葉なのでしょう。ですが、さすがにこれには家族も腹を立てたようで、本気で怒りの言葉をぶつけていました。
慰めるつもり、あるいは何気ない一言だったのかもしれませんが、改めて言葉の使い方には気を付けなければならないと感じる一件でした。もし皆さんが被災者に声をかける際には、内容を選んであげていただけたらと思います。
被災にあって感じた優しさ
ただ、被災の後に起きたことは悪いことばかりではありませんでした。
なかには、お見舞いの品を届けたり、お見舞い金を届けてくれる人までいらっしゃいました。普段はぶっきらぼうな方でも「大変だろうから」と言って、封筒に包んで渡してくださった方もいらっしゃいます。
家族曰く、現金が嬉しかったというよりは、その気持ちが嬉しかったのだと言います。
傷つくこともあったけれど、それ以上に人の言葉と行動に救われたと、涙ながらに言っていました。被災して、家が倒壊し、いろいろなことが変わりました。それでも、他人様には感謝して生きていかねばならないと、私の家族はそう言っていました。
他人ですらそこまでして下さったのです。私も彼らに感謝しつつ、息子である自分こそ両親のことを支えていかなければなりません。
まだ不安定な身の上ではありますが、無事な状態の我が実家にまた帰省できるを夢見つつ、頑張っていきたいと思います。