ニートからの復帰と復活。就活をしなかった院生が起業し、法人化するまで
「ニートから社長になった」
「無職から起業した」
最近では、こうした言葉も全く珍しくありません。私もそんな珍しくないお話に漏れず、ニートから起業し個人事業主となった部類の人間です。
そしてつい最近、個人事業主から法人へと法人成りすることも決定し、書類も提出しました。事業拡大を狙った法人化ですが、一応、肩書が社長になるわけです。
正直、法人化はメンドクサイだけなので、逃げられるだけ逃げるようにしていたのですが、今後の事業の展開やスタッフのことを考えると、法人として展開していく必要性を感じ、決断するに至りました。
さて、そんな私がどんなルートを経てニートになったのか、どんなルートを経てニートから社長になったのか、少しだけ振り返ってみたいと思います。ここにあるのはサクセスストーリーではありません。失敗から人並みに戻ることができただけのノーマルストーリーです。
大学院からニートへ。両親からの期待を裏切り
以前の記事でもご紹介しましたが、私は大学院時代に就職活動をしませんでした。
なにか就職をするのは"違う"気がして、就職という道に進めなかったのです。ドクター(博士課程)に進んで研究職を目指すというルートも"違う"気がしました。
「なにが違うのか?」人様からはきっとこう聞かれるでしょう。
ナニが違うというわけでもないのです。なんとなく違和感があったのです。あと、何よりスーツを着るのが嫌でした。それだけは間違いありません。そんな理由で大学院を修了と同時にニートになりました。
当時の状況をネットで公開していたら、たくさんの方から叩かれそうですね。炎上待ったなしの案件です。"ソコ"に疑問を持ってしまう私は、ある意味でやはり社会不適合者だったのかもしれません。
ただ、自分の人生とはいえ自分一人のものではありません。ニートとしての今後の生き方をまず一番に伝えるべき相手、自分の両親に「とりあえず生き方を考えるために無職になるわ」と話してみました。
その際、親から言われたのはこういった言葉。
「あなたはそのまま研究職に就くものだと思ってた。大学院に残ることはできないのか?金銭的な援助が必要ならサポートするので、残る道を模索して欲しい」
詳細は忘れましたが、こんな内容だったと思います。 そんな言葉をかけてきた両親に対して、私はこう言いました。
「私を信用してくれ。私がやるといってやらなかったことはないでしょう?必ず成果を出すから、それまでは見守っていて欲しい」
母は「それでも心配だ」と言い続けましたが、父は「お前の言うことなら間違いはないだろう」と、心配しつつも言ってくれました。こうして私は両親の期待を裏切り、ニートになりました。
ニートから日雇いアルバイトへ。労働の価値を知る
ニートになってから数か月ほどは、「これからどうやって生きていこうか」と考えました。当然、就職活動などはしていません。文字通りのニートです。
ほんの一時期だけ、ライターやカルチャースクール講師をやってみたこともありましたが、これは自分の知識や技術を消耗するだけだと気づき、すぐにやめました。こんな時期が大学院をやめて半年ほど続きました。
その間は、少しだけ残っていた奨学金の預金を食いつぶす日々。大学院の奨学金は月88,000円だったので、毎月8,000円は貯金していたのが効いたようです。先輩や知らないオジサマにご飯を奢ってもらっていたので残せた貯金です。
それでも、毎月3万円は両親からは仕送りをしてもらいました。私が無職にもかかわらず生きていけたのは両親のおかげですし、本当に感謝しています。
ですが、そんな状態でも残高はみるみるゼロに近づき、いよいよ余裕のない状態になってきました。
そこで「とりあえずはお金がなければ生きていけない」と日雇いアルバイトの世界へ。初めての日雇いバイトは交通量調査のアルバイトでした。ちょうどいまぐらいの時期。寒くなり出した秋の終わりごろのことだったと思います。人としての生き方をつい考えてしまった仕事で、今でも深く印象に残っています。
そして、その後も生活費を稼ぐため、日雇いアルバイトや単発での派遣を続けました。
日雇い・単発アルバイトといえば、基本は肉体労働。データ入力やクレジットカードの営業、選挙の投票調査のように、内勤のお仕事もあったりはしますが、体を動かすお仕事のほうが圧倒的に多いです。
ごみ回収の補助に什器搬入出のお仕事、ゴルフ場の草貼りに遺品回収の仕事なんてものも。
ニート時代どころか、大学院時代からデスクを動くことのなかった私の体には、けっこうこたえました。その様子はブログでずっと公開していたので、知っている方もいらっしゃるかもしれません。
でも、その肉体労働の時間が心地よくもありました。なんと言えばいいのでしょう。生きている実感と言えばいいのでしょうか。やっぱり、ある程度の労働は生きていくうえで必要なものなのだなと実感しました。
就職活動をしたくなかったのは、「働きたくなかったから」ではなく、やはり就職活動やその後の就職してからのイベントが嫌だっただけで、「私は働きたくないわけではないのだ」と。そう気づくことができました。そして良かったのか悪かったのか生き汚くもなりました。
そんな折、転機が訪れました。
私がニート時代にお世話になっていた知人が、今の仕事を退職すると言ってきたのです。知人というか友人ですね。私はその話を聞いたとき、こう思いました。
「この友人と組んで事業を立ち上げよう」
「そして事業を大きくしていこう」
ジリ貧の者同士でも、私には考える頭とブログを運営してきたスキルがあり、友人には技術と経験がありました。わたしは、友人に事業計画のプレゼンをし、一緒に事務所をやっていくことを提案。結果的に、事業が始まることとなりました。
「やめたほうが良い」と警告する周りの人たち
事務所を立ち上げた初期投資は200万円。内訳はこんな感じ。
物件取得費 300,000円
設備費 1,200,000円
備品代(家具含む) 500,000円
物件は近所の不動産屋全てを周り、とにかく安いことを条件に探し、家具の一部はDIYをするなど、抑えられるところは極力抑え、一方で絶対に削ってはいけないところだけは投資をするよう気を付けました。
200万円なんて事業をやっている経営者やエリートサラリーマンからすればはした金ですが、ただの日雇いアルバイトのフリーター兼ブログ収入程度の人間にはそこそこ辛い資金です。
公庫からお金を借りる手段もありましたが、万が一のことも考え「撤退」の2文字は常に頭のスミに入れて行動。安い自己資金で始められることを考えました。というか、ニートから起業していたので、今考えればお金も借りられなかったかもしれません。
私がやっといてなんですが、学生起業やニート・無職から起業するのはやっぱりおすすめできませんね(笑)
一応、ブログでの収入も少しずつ上がってはいたので、日雇いと合わせて日本人の平均年収以上の稼ぎはありましたが、それでも、当時の貯金のほぼ全てを詰め込んで投資しました。100%は使えません。運転資金や友人の給料も払わないといけないからです。
始めのうちは、声をかけた友人が私より年上ということもあって、友人の元のお客さんから「あんな若い子についていっていいの?」「そんな事業が上手くいくわけがない」と私がいる前で知人に言われるなど、散々な経験をしました。
ただ、そこで私が思ったことは「じゃあ、あなたたちが思いもつかない方法で、思いもつかないぐらいの収益を上げて、見返してやろう」ということです。本質的に負けず嫌いだったのでしょう。
それでも最初の数か月は赤字でした。飲食店や小売店のように広告さえガンガン打てば最初からお客さんが付いてくれるような業種ではありませんでしたし、そもそも広告費を打つようなお金もありません。
集客方法は全て自作のホームページとSNSのみ。ブログを運営していたSEOテクニックがあったので、サイトはみるみる検索上位に表示されるようになりました。
それでも、サイトが検索上位に表示されるまで3ヶ月の時間を要しました。もちろん、その間はひたすら耐える日々。ただ耐えるのではなく、友人と毎日ミーティングをし、「この事業をどこに向かわせたいか」「収益はいくらで、どんな形で確保したいか」をひたすら突き詰めました。
今思えば、この赤字の準備期間は私たちに必要なものだったと思います。とりあえず、業界の知識があるプロの友人と、計画をプレゼンしたとはいえ想像も多分に混じった青写真しか考えられない私の知識や技術をすり合わせる必要があったのです。
もちろん、計画通りとはいえ、焦りや不安もなかったわけではありません。なにより「一緒に付いてきてくれたスタッフの生活を守らなければ」と、そんな気持ちだけが膨らんでいきました。
ただ、そんな状態が数か月ほど続いたころ、ホームページでの順位も上がり、少しずつ事務所は黒字に。同地域でも同じサービスを展開している業者はいなかったため、ほぼ顧客も独占状態となりました。
そうして店舗が増えたり、人員が増えたりと、事業全体の黒字経営が半年以上続き、今では1年以上が経過しましたが、その間に様々な嬉しいお話が来るようになってきたのです。たとえば、以下のようなこと。
1. 様々なメディアから取材依頼が来た
2. カルチャースクールや地域の店舗からセミナー依頼が来た
3. 大学など教育機関から講師依頼が来た
4. 誰でも知る大手法人からの依頼が何件も来た
5. 周りの見る目が変わった
6. 企業からのタイアップの依頼が入った
7. ほかの経営者から傘下に入りたいと声がかかった
だいたい、こんなところでしょうか。驚きだったのが、個人事業主レベルでも大学や専門学校からの講師依頼が来るのだなということ。もっと大きな法人や有名な業界人ぐらいしか問い合わせなんて来ないものと思っていました。
大学院時代は学部生の実習の講師をやったこともありましたが、大学院をやめて、教育機関という場所は縁遠くなったと思っていました。まさか、こんな巡り合わせがあるとは不思議なものです。
他にも嬉しかったのは、グループ傘下に入りたいといったお願いでしょうか。もちろん、今の私が極端にグループを大きくしたとしても、人員もお金も足りないことは明らかなので、丁重にお断りしましたが、こういったお誘いもありました。
ですが、こうした依頼が舞い込んでくるうちに、スタッフの今後の生活のことを考えても、事業の拡大を考えても、そろそろ真面目に法人化を検討しないといけないなというフェイズに入ったので、法人化を申請したわけです。
法人としての今後の展開
まだ登記こそ完了していませんが、法人化の申請は終わっているので、法人化は決定したと言っていいでしょう。これによって、私の事業は私だけのものではなくなりました。というより、法人という一つの性格を持つようになってしまいました。
ですので、事業計画などはあまり人様には話せないのですが、一つは他のオーナーへと出資して、異業種への展開をしようかと考えています。ただの出資ではなく、経営にも参画する予定です。
被出資者は、事業資金の元手を得ることができ、私たちは異業種での営業経験とスキルを得ることができます。ここを足掛かりに、いろいろと展開していければといった感じですね。
なんにせよ、事業を展開していくのであれば一番重要なのが人材。「人は財」とはよく言ったもので、どれだけ完璧な計画を作り上げたとしても、その計画に沿って動いてくれる人がいなければ何も始まりません。私の不完全なプランならなおさら人は重要です。
今は、ヒトを見つけること、そのヒトを育てることを意識しつつ、ヒトが「ついていきたい!」と思ってくれるような企業を目指していければと考えています。ここにきて、ようやく、私は人並みになれたのかもしれません。
終わりに:学生起業や無職からの起業について
途中で少し触れましたが、私は学生起業や無職、元ニートの方が就職を全くせずに起業することについて、基本的には反対です。「お前が言うな」と思われるかもしれませんが、やはり賛成はしかねます。主な理由は2つ。
1. 業界に繋がる人脈がない
→スタッフが見つかりにくい、お客さんを捕まえにくい
2. 業界経験がないので信用がない
→お金を借りにくい、お客さんに信用してもらえない、事務所を借りられない
他にも細かいところを上げればたくさんのデメリットがありますが、特に、事務所を借りられないのはけっこう痛かったです。事務所を借りたのは個人事業主1年目で昨年度の確定申告の書類もない状態だったので、無収入の無職がいきなり事務所を借りに来たようなものでした。
今の預金額を見せ、「名古屋大学の大学院を修了」というブランドを借りたり、友人の経歴や実績まで、信用になりそうなものは全て不動産屋や大家さんにアピールしました。"信用"の大事さを改めて実感しましたね。
そのため、初期の名刺は学歴や論文賞の受賞歴、果ては出身地まで入っていたりと、なかなかカオスなことになっていました(笑)
このように、「学生もニートも社会からの信用が一切ない」ことは間違いありません。
その一方で、学生やニートのメリットなんてものはほとんどありません。
唯一メリットを上げるとすれば、学生起業なら、企業とのタイアップが組みやすかったり(学生と連携していると言うと対外的なイメージが良いので、企業が金銭的・物的に支援してくれる場合も)、税制面での優遇があるかもしれません。
実際、私が大学時代に学生向けフリーペーパーを作っていたころは、毎月広告収入だけで100万以上の売り上げがありました。学生が作り、学生に配布するという状態が企業にもウケたのでしょう。
「学生向け就職サイトのA社が背表紙(30万)に載せてくれたので、ライバルである御社は表表紙(40万)で載せてくれませんか?」なんて営業もありました。まあ、学生が数人で作っていたので利益なんてものはないお遊びでしたけどね。
ただ、最近の「退学して起業!」みたいなのは、こういったメリットが使えなくなるので、学生が起業するなら在学中、もしくは休学中のほうが良いとは思います。
いずれにせよ、学生起業もニートからの起業も、そのメリットは一度就職してから起業するよりも少ないです。学生起業はやり方次第だとは思うところはあっても、繰り返しになりますが、私は基本的に反対です。
でも、起業家なんてものは周りに反対されようが、起業してしまうと思うので、私が言えることは「リスクヘッジはきちんとしておきましょうね」というぐらいでしょうか。
ただでさえ起業というリスクを取っているのですから、そのリスクを減らすためにも常に事業撤退を頭に入れ、「それがダメなら自分には何ができるか」を考えておきたいものです。もちろん、自戒も込めて。