左耳のピアスは反社会性と大人になりたくない私の証
私は左耳のロブ(耳たぶ)に2つだけピアスを開けています。これは初めてピアスを開ける時に、片耳だけピアスをあけている漫画のキャラクターがカッコいいと思っていたからです。当然、私は漫画のキャラのようには格好よくはなりませんでした。
ピアスを初めてあけたのは、高校3年生のとき。大学の合格通知をパソコンのモニターで確認すると同時にピアッサーに手を伸ばしていました。当時は、大学に受かったことよりも、ピアスをあけられること、1人暮らしができること自体への憧れが強かったですね。
そうそう。高校卒業と同時に「社会勉強だよ」と言われて、兄と一緒にパチンコにも行ってみましたが、ただひたすら回っているパチンコ台のレールを見て「なんて非生産的な活動なんだろう」と空しくなったのであれ以来一度も行っていません。同じ生産性のない活動ならコストが少ないぶんメダルゲームのほうが好きです。
それはともかく、ピアスへの憧れというものは当時の私にとってそのぐらい強かったものなのです。兄は中学時代からあけていましたが、一応進学校に通っていた私はずっとその欲求を抑えていました。もう爆発寸前と言っても良いぐらい。
知り合いには「痛くないの?」と言われますが、ロブにピアス程度の穴をあけたところで、せいぜいジンジンするぐらいです。むしろ、ピアッサーが耳たぶの皮をブチッといく感覚は、意外とクセになります。マゾではありません。
左耳を選んだ理由は、「右耳だけにピアスをあけているとホモフィリアだと思われる」という迷信があったからです。
気になって調べてみたのですが、男性の右手側は女性がくるもので、左手側は外側に見せるものだから左側に装飾品のピアスを付けるのが“普通”だそう。つまり、わざわざ女性側(右耳)にピアスをあけるのは同性愛者だけなのだとか。なんのこっちゃわかりません。
とはいえ、迷信自体の意味が分からなくとも、そういう迷信自体があるのは事実。大人しく、とりあえず左耳だけにピアスの穴をあけることにしたのです。まあ、大学デビューの証と言えるかもしれません。
そんな大学デビューの証は、大学時代だけでなく大学院時代、ニート時代と続き、個人事業主になった今でも左耳についたままになっています。もちろん学会や日雇いバイト、仕事中などフォーマルな場では外しますが、基本的にはずっとつけっぱなしです。
「良い大人になって……」と思われるかもしれませんが、なんとなく外せないんですよね、これが。一応、大学院をやめてニートになった時に外そうとも思ったんですが、結局外せませんでした。その時、「ああ、今の私には普通の社会生活を送るのは無理だな」と悟りました。
幼稚なのは分かっているんですが、こんな小さなアクセサリーを身につけているだけでも「そこら辺の大人とは違うんだ。少しだけ自由な生活を送っているんだ」というちょっぴりの解放感と「まだもう少し子どもでいられるんだ」という安心感に浸れるわけです。
知り合いの結婚式なんかで久しぶりに会った友人に「お前の会社ってピアスしてていいの?ああ、個人事業主。自由で羨ましいわ」なんて一言を言われて喜んでしまう小さな人間なのです。
昔の私にとっては格好よさの象徴であったアイテムだったのに、今では私の子どもっぽさを守るためのアイテムに意味合いが変わったのは自分でも面白い変化だなと思います。
私がいつになったらこの“子どもの証”と決別できるのかは分かりません。ただ、ニートになった時ですら外せなかった子どもの証ですから、その時の心境はきっと今とは大きく変わっているのでしょうね。
いつになるかは分かりませんが、まあその時が来るまでゆるゆると生きていければと思います。あなたにも、手放せないアイテムってありますか?